【創作裏話】創作活動の動機(モチベーション)をどこに設定するか

長いので3行

・創作活動の目的が自己実現だとモチベに限界がある
・世のため人のためと思って作る方が精神的負担が少ない
・「経済を回す」という大義名分を心の中に掲げれば作品作りのハードルが下がる


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ドーモ。コトアンです。
最近絵を描くモチベがよく低下します…。

そんな創作活動のモチベーションですが、一体どこから来ているのでしょうか。
パッと思い付いたまま書き出すと、

・神絵師になってチヤホヤされたい
・あわよくばお金を稼ぎたい
・好きなものを世の中に発信したい
・自分の成長を楽しみたい
・あの時憧れた作家に追い付きたい

こんなところでしょうか。
そうすると、作品を作る動機の多くは「自己実現」にあると思います。こんな自分になりたい、あんな事をしたい的な。

一見すると最強の動機であるように思える自己実現。でも実は、その「自己実現」という考え方にこそ落とし穴というか上限があるのではないか、というのが今回のお話です。


1.自己実現の限界

創作関係の悩みにはよく「誰からも評価されない状況に耐えられない」というものがあります。
それに対する解決策として一般的に言われるのは「他者からの評価に囚われず、自分の信念を支えとして前へと進む」的な方法です。一番良いのは評価されるものを描く事ですけど

しかし自己実現というのは、言い換えると「自分の為に」という事でもあります。そうすると全ての決定権や判断基準が自分に委ねられるので、自分の気持ち次第でいくらでも妥協する事ができてしまいます。

つまり「自己実現」とは、活動を続ける為の原動力が「自分の気持ち」というフワッとしたものに依存している不安定な状態なのです。

創作活動の動機を「自己実現」に設定すると、「労力的にはこの辺が相応だろう」と納得した瞬間、それ以上進む理由がなくなるのです。
自分がある程度納得できる所まで来たら、それ以上は努力に対しての成果が割に合わなくなってきます。コスパが悪くなるという事です。そうなると努力を続けるよりも、自分の気持ちを調整して妥協する方がコスパが良く、そちらを選択するのはとても自然な事です。

これが、自己実現の限界となります。

今の自分は「オリキャラのweb漫画を更新してLINEスタンプを作る」という自己実現を果たしたので、現状だとこれ以上は創作活動を続ける動機がありません。だからやる気が出ないのだ。


2.自己実現を超えた創作活動

けど一方で「自分はもっと先へ進んだ創作活動をしたいんだ」という思いがある訳です。
自己実現というのはあくまで「誰からも評価されない状態」を乗り越えて作品作りを続ける為のツールであって、最終目標は「もっと凄い創作活動をする事」なんです。

では自己実現を超えて、さらに先へ進んだ創作活動をするにはどうしたら良いのか。
それは「他人や世の中の為に活動をする事」なのではないか、という仮説。

実によくありがちな、模範的な解答ですね。もう聞き飽きたくらいに。
でも侮る事なかれ。この綺麗事こそが、実は自分の目標達成に繋がるライフハックの可能性があるのです。

「自分の為に」を動機として創作活動をすると、ある程度妥協できるラインが見えて来たあたりで止まるのが最高のコスパとなるので、活動を継続するハードルはむしろメチャクチャ上がります。よほど神経が図太くなければ、「自分の為に」ではメンタルが維持できず長続きしません。

だから逆に、メンタルの細い人ほど「大義名分(他人や世の中)」の為に活動した方が良いのではないか…という訳です。

「自分の為」よりも「他人や世の中の為」の方が目標達成の基準が明確な上に、心の中の責任を外へ丸投げできるので、例え評価が少なかろうがそれほど精神的なダメージを負いません。
「うわー、お前なに安易なもん作ってんの?w」と煽られたところで、「だって別に自分の為じゃないし〜世の中の為だから仕方ないし〜」と言えるようになるのです。

自分の目標は「より凄い創作をする事」ですから、それを実行しやすくする為に「他人や世の中の為」という大義名分を心の中に掲げるのです。

わざわざ大義名分を宣言してアピールする必要はありません。あくまで「他人や世の中の為」という大義名分を心の中に掲げる方が、「自己実現の為」よりも基準が明確で創作活動を実行しやすく、言い訳もできるから…というだけなので。
創作活動の存続が自分の心によって左右されるのなら、その自分の心をハックしてしまおうという発想なのです。


3.大義名分の中身

「他人や世の中の為」と言うけれど、それじゃあ自分の創作活動が具体的に世の中でどんな役に立つと言うのか?という話になります。

それはズバリ、「経済を回す役に立つ」です。

例えば同人誌を作って通販を行うとしましょう。すると同人誌を印刷する人、印刷する機械を作る人、委託販売のショップの人、通販サービスを運営する人、配達する人…という風にお金の流れのサイクルが発生します。途中で税金が取られるので、税金が良い感じに庶民へと還元されないと淀んでしまいますが

とにかく、何かが売れるとその度に世の中全体が儲かり、社会サービスが良くなる訳です。世の中を良くする為に我々庶民にできる方法の一つが経済を回す事なんです。

誰かが「あ、欲しい」と思えるものを一つでも作るという事、そして欲しいものを買うという事は悪ではないのです。むしろ世の中全体を救います。各々が救世主です。

創作活動のやる気が出ない、だけどもっと凄い事をしたい。
そう思った時、「自己実現」も超えてさらに一歩先へ進んだ創作活動をするのに必要なのは、「誰かが欲しいと思うものを作る事」なのです。どこかの誰か一人でも欲しいと思って買えればそれで良いのです。たったそれだけです。

大衆的にヒットさせる必要はありません。1つでも売れればそれだけでもう経済を回す事に貢献した事になるので、「自分の創作活動が社会貢献をした」という大義名分が立ちます。意味のある行いになるのです。

「他者(複数)からの評価」「自己実現」という基準で捉えるから「ヒットしないと意味がない」という考えになるのであって、「経済活動への貢献」という基準で捉えれば、1つでも売れれば目標達成です。それだけでハードルはグッと下がります。ハードルが下がれば、創作活動も継続しやすくなるのです。

…とまあ、大層に長々と書きましたが、これらは全て昨日思い付いた仮説なので(笑)、これから試そうかなと思っています。
給付金配られるのなら、サークルスペースに敷くテーブルクロス作っても面白そう〜!とか考え始めて、気付いたらこんな記事を書いていた。無駄遣いこそ景気の役に立つのだ。


〜ここから下書きボツ〜

前はよく二次創作をしていたのですが、自分の場合、その時のモチベーションは「供給が少ないキャラを自分が描かずして他に誰が描く」というものでした。だからなるべくメジャー寄りではないキャラを描く比率が高かったし、そのキャラの注目度が上がって供給やメディア露出が増えて来ると、「私の役目はここまでだ…」的にやる気が下がります。

結局自分の創作活動の一番のエネルギー源は「それを理解している自分がやらずして他に誰がやる」なのだと思います。
それの良さを理解している人は多分それなりにいるでしょう。でも同時に、表現できる人、さらに言えばそれを表現できる人…となってくると、実行できる人数はかなり限られてくる。

そう考えると、アイデアがあって、かつ表現する技術も持っていて、そしてそれを実行する時間も一応ある。のであれば、自分がやらなければ「それ」は誰にも観測されず、この世界に形を成さぬまま消える事なります。それは悔しい。なら、自分がやるしかない。自分がやらずして、他に誰がやるというんだ。